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西安碑林博物館

www.52xian.com  2006-1-11 下午 11:47:31  作者:碑林博物館  来源:西安旅游


西安碑林博物館

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西安碑林博物館は西安城南門の東にあります。碑林とは文字や図像を刻んだ多数の石碑の集合を意味します。西安碑林は昔の西安の孔子廟を基礎として1087年に建てられました。この博物館は石碑展示室、石刻展示室、臨時展示室の3つに分かれています。建築面積は約4000平方m、展示品は約3000点あります。博物館は南北に細長く、門をくぐると木牌坊が見えます。右に折れて正面をみると東西両側に展示室が続いています。その間の遊歩道の両側に石造りの動物模様の門柱や八角円堂の碑閣が立ち並んでいます。もっと奥に進むと碑林の展示室に着きます。まず目に入るのは碑亭の中に立っている石台孝経です。この石碑は高さ5.7m、唐の玄宗皇帝の天宝四年(745年)の自筆で、内容は孝経に関する解説で、碑額の題字は皇太子李亨(後の粛宗皇帝)の書です。碑文の中に、「身体髪膚これを父母に受く」という明言もあります。七つの石碑展示室には大型の石碑と墓誌銘が千基ほど展示されています。展示の石碑は漢の時代から清の時代までの各時代にわたっています。石碑には歴史実録、仏教、古代の名著などが刻まれていて、石碑は当時では文化を伝える重要な手段でした。第一展示室には高さ2mの開成石経の石碑が114基あり、碑の両面に65万252の文字が刻まれています。開成石経は唐の文宗皇帝李昴が国子監(文部大臣)鄭罩の建議により、文宗の大和四年(830年)から開成二年(837年)までに艾居梅と陳王界らによって楷書で刻まれたものです。これらの碑の完成には約七年の月日を費やしたと伝えられています。文宗の開成年代に完成したのは開成石経と名付けられました。当時の統治者は、この石経を長安城務本坊の肖酥盲⒋笱任氖郡郡沥嗣銖姢丹护蓼筏俊JUとは、十三種の儒教経典の意味で、即ち、周易、尚書、儀礼、詩経、周礼、礼記、春秋左氏伝、春秋公羊伝、春秋殻梁伝、論語、孝経、爾雅、孟子のことです。刻文の内容は中国の古い封建制度の道徳の倫理で、これにしたがって官僚を養成するのが当時の支配者の目的でした。また、地理資料、民間詩歌、貴族の冠婚葬祭の制度、名人の問答談話の収録、歴史文献など、数多くの典籍の精華が網羅されています。第二室には唐代の有名な石碑を展示しています。唐多宝感應碑は唐代の大書道家願真卿四十四歳の自筆です。碑文の内容は唐代の名僧楚金禅師により多宝塔建立の経過文で、この中に唐の玄宗皇帝が多宝塔建立にため、当時のお金で五十万銭送ったことが記載されています。顔家廟碑は、彼の七十二才の時に自家・顔氏の家廟のために書いたもので、内容は顔家の家史の総括です。顔真卿の作品は古今を通じて、顔法字として尊重されています。唐玄秘塔碑は唐代の有名な書道家柳公権が六十歳の時に大達法師のために揮毫した墓碑です。内容は、大達法師が唐の徳宗、順宗、憲宗皇帝から受けた厚恩について記載されています。唐同州聖教序碑は初唐の大書道家楮遂良の自筆で、内容は玄奘三蔵法師の苦労を称賛したものです。これは晩年の彼の傑作でもあります。皇甫誕碑は、歐陽通が書いたもので、道因法師が大慈恩寺で玄奘三蔵奉仕の経典漢訳の仕事を助けたことが記されています。有名な三蔵聖教序碑もこの展示室にあります。この碑文は唐の太宗皇帝の序文で、玄奘三蔵法師がインドから持ち返った膨大な仏教経典を漢語に翻訳し、皇帝に献上したという玄奘の功績を賞賛したものです。碑文の文字は主に書聖と称賛される王義之も原拓を懐仁法師が集めたものです。また、太宗皇帝の勅命によって、民間に散在する王義之の原拓を収集し、その原拓から文章に必要な文字を一字一字選んだものです。書聖の原拓の収集には、唐の太宗の貞観二十二年(648年)から唐の高宗の咸亨三年(672年)まで、実に24年間が費やされたと言われ、【一字千金】に値するという言葉が生まれました。碑林には古代中国と外国の友好往来の史実を記載している石碑もあります。この中で、大秦景教流行中国碑は外国にも名高い石碑です。この碑を刻んだのは唐の建中二年(781年)で、もとは長安大秦寺にありました。大秦とはローマ帝国を指す中国古代の呼称で、景教とはキリスト教の一会派です。この碑文に記載された景教の教義、教規などによって、古代中国におけるキリスト教の伝播状況や国際交流、友好往来の関係が明らかになっています。特に、碑の上にはシリア文字の職名が刻まれており、古代中国と古代のシリア、入らん、ローマ、アラビア半島諸国との友好往来を研究する資料としても価値が高く、この友好往来の史実を記載した資料は古今東西にこれしか存在しません。唐広智三蔵碑の内容はインド僧不空三蔵が布教師として長安を訪れ、大興善寺で真言密教を伝授し、サンスクリット経典77部、127巻を唐語に訳経したことです。中国の宗恵果は不空三蔵に就いて密教を深く学び、また、これを日本の空海に伝授しました。これが所謂三国三大法師の関係です。この碑文は楷書で、唐代の有名な書道家徐浩の筆です。中尼合文之那陀尼経憧碑は中国語とネパール語の古い文字が刻まれています。唐王朝と友好応対を頻繁に行ったことの記載です。不空三蔵は唐の玄宗皇帝の勅命を受けて、この碑文を唐語に翻訳したという記載もあります。
       第三室から第七室までには漢、唐、宋、明、清など。各時代の有名な書道家、芸術化の名筆があり、観音菩薩像、孔子像、達磨大師像や山水風景の日、漢曹全碑はいずれも傑作です。石刻展示室はこの博物館の重要な場所です。この展示室には陜西省に散在した数多くの石刻の中の代表的な作品が転じされています。前漢から唐までの逸品は70点あり、陵墓石刻と宗教石刻の二種類に分けられます。老子、武士、ダチョウ、牛、獲物を狙う獅子、石人に引っ張られる獅子、重さ10トンの石犀、神話の西王母と東王公の石像、石棺など、多くの石像があります。特に、唐の太宗皇帝が乗用した軍馬をモデルとして彫刻した昭陵六駿は最も有名な芸術の珍品です。この六駿は唐代の大画家閻立本の絵を模写して、高さ2.5m、幅3mの石版に彫刻されています。六駿は太宗が唐王朝を樹立するため、隋の軍隊と戦い、全国を駆け巡っている時に愛用した軍馬です。したがって、それぞれに故事来歴があり、史実を反映しています。

 

石刻芸術陳列室の前 馬つなぎ用の石柱 石碑の並ぶ部屋

    

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      西安碑林は西安市三学街にある。西安碑林は正式には西安博物館。西安には博物館が2つある。西安碑林は正式には陝西省博物館。城内に在る。中国四大博物館の一つの陝西歴史博物館は小寨東路に面して在る。

西安碑林は1961年、国の第一級保護文化財に指定され、陜西歴史博物館と分離し「西安碑林博物館」と正式に名づけられた。 陳列室正面の中央に立っているのが碑林で最も大きな碑石の「石台孝経」。高さ5m、幅3mの4枚の青石からなっている。

唐の開成年間(836~840年)に彫った十三経を北宋の元祐2年(1087年)に設置した碑石の収蔵地である。「京兆府新移石経記碑」によると、移された場所は立地が乾燥した場所で、地盤もしっかりして、碑石を収める建造物を建てるには条件が整っていた、その為に碑石はよく保存された。

現在は7つの展示室。6つの回廊、(建物をつなぐ廊下)。八つの碑閣。石碑を保護するためのあずま屋(碑亭)を一つ、約1000枚余りの碑石を収蔵し、漢代~清代の著名な書家の精華を蔵し、中国の書の一級品の宝庫。

真、行、草、隷、篆、にわたり、特に唐代の欧陽詢、虞世南、李陽冰、顔真卿、柳公権、張旭、懐素、智永、李隆基、史維、真筆の刻石が極めて貴重。宋・元・明・清では、蔡京、蘇軾、董其昌、趙喆、林則徐、らの墨跡も注目すべきものでり史料価値が高い。

第一室には、唐の文宗(第14代)の命により5年がかりで儒教の古典を刻んだもの、開成2年(832年)に完成した、”開成石経”と称される12部の経書がある。

昔、経書は主に転写によって傳えられ、誤りが多かった。唐代には、漢、魏の時代のように碑石に刻みつけて校訂する方法が受け継がれた。830年、唐文帝は国子監の鄭覃の提議を採用し、艾居梅、等に楷書で碑石に書き移すように命じた。

周易、尚書、毛詩、周礼、儀礼、礼記、春秋左氏傳、春秋公羊傳、春秋穀梁傳、考経、論語、爾雅。全部で百十四枚。合せて二百二十七面。

なお、清の康煕3年〈1664年)陜西巡撫賈漢復が”孟子”の石碑19枚を加えて、西安碑林には十三経のすべてが揃うことになった。それぞれ、経書の前には、何面の石碑が使われているかを示す立て札が立っている。

周易は第1面~第11面まで、尚書は第11面~19面まで、毛詩は第19面~34面。周礼・儀礼・礼記(三礼)は第34面~第105面まで、春秋3傳 (左氏傳・公羊傳・梁穀傳)については立て札が不明。考経・論語が第222面~226面まで、爾雅が第126面~127面まで。

第二室には、唐代の名碑が集められていた。欧陽詢の「皇甫誕碑」。顔真卿の「多宝塔碑」「争坐位稿」。柳公権の「馮宿碑」「玄秘塔碑」などがある。 又、唐の時、已にキリスト教が伝來したことを示す「大秦景教流行中国碑」もこの部屋に立っている。「大秦」とはローマ帝国。「景教」とはキリスト教ネストリウス派。の中国での呼び名。

唐の武宗の時代(841~846)歴史に知られる排仏運動の影響で「大秦寺」は破壊されたが、この「国宝」は瓦礫の下に埋まって破壊を免れた。明の天啓3年(1623)荒廃した大秦寺を開墾した時、この「大秦景教流行中国碑」は再び世に現れた。

第三室には、秦の始皇帝の宰相でもあった李斯の筆と言う、小篆。                  第四室には、宋の蘇軾・明の祝允明の作品がある。                          第五室には、宋・元・明・清の各代の碑石が集められ、宋建隆3年の「重修文宣王廟記」     第六室には、元・明・清代の文人の自筆による詩詞歌賦がある。                   清の康熙帝・林則徐などの作品が印象に残る。

第七室には、陜西本淳化閣帖の石碑がある。これは宋の太宗の淳化3年(992年)翰林侍書の王著が勅命を受けて、漢から唐までの墨跡を摸刻した法帖である。碑林の東側の小さな庭の西壁には六つの刻石が展示されていた。近代の愛国詩人・書道家で国民党元老の「于右任」が草書で書した文天祥の「正気歌」であった。

于右任は1933年、彼自身が集めた漢代の「熹平石経」の残石を西安碑林に寄贈した、それは西安碑林においては最初の漢代の碑石であり、これまでに発見された「熹平石経」の残石の最大のものであった。彼は西安碑林の第一の功労者と言われている。「尚書巻第二」に今の年号「平成」のもとになった字句がある。兪、地平天成、六府三事允治、万世永頼。時乃功。「兪、地平ぎ天成り、六府三事まことに治まらば、万世永く頼らん。これ乃の功なり」

「碑林」,には01,02年「西安遊学」時,大学宿舎からバス乗車で3つ目のバス停。乗車賃,1元~2元。然も,碑林入場券は「学割り」が通用し半額の20元。と言う便利さから午後の散策を兼ねて屡々,訪れた。碑林の傍の通路「三学路」が面白い,骨董品の商店が林立。ここから,「鐘楼」のメインストーリー通りまで徒歩で30分。

年号が『尚書』で由来するように、我われ日本人は漢字文化に恩恵を受けてきた。将来も漢字文化は生きつづけるだろう。中国は教育水準を高める為に推進されたのが”文字改革”
(1)標準語の制定。
(2)漢字を表記する為の表音文字の作成。
(3)漢字の簡略化、
を3本柱として進め、1965年「簡化字総覧」を公布。これに先だつ10年前、1955年「バンドン会議」の際、当時の日本政府代表、高崎達之助氏と中国の周恩來首相がこっそり会談した。


周恩来は 「中・日で同じ略字体を作る為に両国の学者の会議を持ちたい、政治体制は異なっていても、百年、千年後の子孫の遺産となる。」57年暮れ、外務省中国課長0氏は当時の岸信介首相に経緯を説明し指示を仰いだ。 答えは 『余計なことはしなくてもよい』 だった。

 

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